認知症の人とその家族が、宇治でわたしたちに認知症とともに生きる思いを伝えます。そこに誰が語るよりも伝わるメッセージがあります。

 

(1) 個として認知症に向き合う段階

〇忘れること、解らないことへの恐怖

  

 認知症と向き合った時の不安、忘れること、解らないことへの恐怖は、「雪の積もった屋根の上から後ろ向きに飛び降りる時の恐怖」に似ていた。

 

○変わりゆく風景

 

 生活は一転し、変わりゆく風景を前に、「このまま2人でつぶれていくんかな・・・」との思いが浮かんできた。診断はついた。しかし、先はまったく見えなかった。

 

○告知の瞬間

 

 家族にとって、告知の瞬間は、頭の中が真っ白になった。計り知れない恐怖と、「嘘だ!そんなはずはない」と思いが交錯し、悔しく悲しく、毎日隠れて泣いた。

 

(2) 仲間・支援者との出会い

〇不安と苦悩の日々からの解放

 

 若年性認知症専用プログラムのデイケア(テニス・卓球)やカフェに夫婦で参加するようになって私達の生活は一変した。一番の変化は生活に希望が見出せ、二人の気持ちが明るく前向きになったこと。そこには希望と明るい笑顔があった。

 

○病気を客観視

 

 病気にならなかったら気づかなかったであろう、大切なものをたくさんもらった。

 

○闘ってもいいことはない

 

 この病気とは闘ってもいいことはない。これまでの人生で唯一、認知症とは闘わないことがよいことだと悟った。

 

○付き合っていく

 

 ないものねだりはしない。今あるもので楽しもう。認知症と仲良く付き合っていこう。

 

 

(3)地域の中で生きていく

○私たちの今

 

 テニス教室に行っていなかったら、家に引きこもっていたかもしれない。認知症であるということを公表してから、前向きに病気と向き合う覚悟が以前より明確になった。

 

 当事者として発言していくことがひとつの使命だと考えるようになった。発言の場を与えていただいていることを感謝している。

 

 テニス教室に行ったことで大切な仲間と居場所、やりがいを見つけることができた。私たちれもんの仲間はチームで活動している。

 

 一人で出来ないことを二人でする。二人では出来ないことでも仲間が力を貸してくれる。当事者や家族だから出来ることがある。チームみんなで活動できる喜びがある。

 

 認知症だから何もできないと決め付けないで欲しい。手助けは欲しいけど、哀れみはいらない。何をして欲しいか聞いて欲しい。私たちにもできることはある。

  

 認知症になっても、元気で楽しく生活していることを同じ病気の人に知らせたい。